4日目(佐賀県・嬉野温泉の続き)
佐賀県・嬉野温泉バスターミナルを、10:42発の路線バス(JR九州バス)に乗車して・・・
約30分でJR武雄温泉駅に到着した。
11:27発「特急みどり号」に乗車して、JR二日市駅に12:22に到着。
さらに、路線バス(西鉄バス)に乗り継いで約25分で、西鉄太宰府駅に到着した。
ここから徒歩で約5分ほどで、今回メインの目的地・太宰府天満宮に行ける。
天神さま・菅原道真公をお祀りする、全国約12,000社の総本宮と称えられ「学問・至誠・厄除けの神様」
として全国に知られており、篤いご崇敬を集めている。
年間約700万人の参拝者が訪れている。
太宰府は、かつて「遠の朝廷(みかど)」と呼ばれた「大宰府政庁」が置かれ、アジア諸国と日本の文化が
交差した地であり、「学問・文化の神様」である菅原道真公が永久に鎮まる、天神信仰の原点の地でもある。
1100年以上の歴史の中で人々の生活に根ざしながら、時代に合わせて展開してきた天神信仰。
現在では、日本をはじめアジア諸国を中心に、海外からも多くの参拝者が訪れている。
※ 歴史上の役所は「大宰府」、行政上地名などについては「太宰府」と表すことが慣用化されている。
西鉄太宰府駅から参道を通って、まずは「太鼓橋」に到着。
参道の両脇には、飲食店や名物「梅ヶ枝餅」(餡入りの焼き餅)を実演販売しているお店が立ち並んでいる。
「太鼓橋」は、漢字の「心」を象った「心字池」に架かる御神橋三橋で、手前から過去・現在・未来を表し、
三世一念の仏教思想を残したものと伝えられている。
この橋を渡ることによって、心身共に清められるともいわれている。
「太鼓橋」を渡ると、右側に国の重要文化財に指定されている「末社 志賀社本殿」が見えて来た。
室町時代に建立されたこの社は、実に目立たないが・・・精巧な造りと変化のある屋根を持つ。
少し歩くと、右側に「手水舎」が見えて来たので、参拝するために手と口を清めた。
昭和9(1934)年に奉納されたこの「手水舎」は、霊峰・宝満山より切り出された巨大な
一枚岩で作られている。
それから、少し行くと立派な「楼門」にさしかかった。
重層の入母屋造りで、檜皮葺きの二重門。
全体は朱塗りされ、堂々たる風格に溢れた佇まいが見事。
慶長年間(1596~1615年)に、石田三成が再興したが明治時代に焼失した。
1914年に再建されて以来、現在に至っている。
この先に、チラッと御本殿が見えるが・・・
写真に収めるのはこれくらいにしておいた方がいいとのこと・・・・・・
霊感の強い友人が教えてくれたのだが、御本殿などを真っ正面からバッチリ撮ると、神様の機嫌を損ねて
しまい、運気が下がるという・・・(゜o゜)!!
この御本殿は919(延喜19)年、菅原道真公の御墓所の上に、左大臣・藤原仲平が勅によって社殿造営を行い
その御神霊を永久にお祀りした。
その後、数度の炎上を経たが、1591(天正19)年に、小早川隆景が再建した。
桃山時代の豪壮華麗な様式で、右側には「飛梅」、左側には「皇后梅」が配されている。
昭和25(1950)年、文化財保護法施行に伴い、国の重要文化財に指定された。
すでにお花が散っていた「飛梅」は、菅原道真公が藤原氏によって都から太宰府に左遷されて(昌泰の変)
赴く前に、庭先に立っている梅の木に対して、
「東風ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
と詠んだのを聞いた梅の木は、淋しがって道真公を慕って一夜のうちに空を飛んできたという伝説を持つ
可愛らしい御神木✧^^
御本殿に参拝・・・まずは以前祈願した時に希望の高校に受かったお礼参りをしてから、そのあと来年1月の
受験の合格祈願をしたあと、「飛梅」のちょうど直線上約10mほど「楼門」寄りに、絵馬を掛ける場所が
あったので、御本殿と飛梅に見えるように掛けて再度祈願!!
近くには梅の木があり、まだお花が咲いていた✿^^
梅の木の下の「御神牛」
このあと、あまり時間がなかったので、急いで参道の食堂に入って名物・九州ラーメンを15分くらいで
カッ込んで、名物「梅ヶ枝餅」を購入したあと、JR二日市駅行きの路線バスに乗車した。
JR二日市駅からJR博多駅に出てから、地下鉄空港線に乗り継いで福岡空港までは、わずか約10分だけの
乗車・・・中心都市部から空港まで、これほどアクセスのよいところは初めてかも・・・!!!✧
しかし、自分としては・・・山陽~東海道新幹線でゆ~~っくりと帰りたかったけど、同行者が「約5時間も
乗車しているなんて絶対にイヤだ~!!」と言って聞かないので・・・やむなく飛行機で約1時間半、羽田に
向かった・・・・・・(^^;;;;;
次回は、静岡県 伊豆高原・大室温泉の回想録(再び戻ります・・・)に続きます。